1.目を天に上げて(17:1-5)
・イエスは弟子たちにお別れの説教をされると、目を天に上げて、祈り始められた。
―ヨハネ17:1「イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた。『父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください』」。
・イエスが求められたのは、父の栄光を現すことである。父の栄光とは子の十字架死である。イエスは3年間、言葉で教えられ、最後の時は十字架の行為をもって教えられた。十字架はイエスの身を持って話された言葉である。
―?コリント1:18「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、私たち救われる者には神の力です。」
・イエスが死んでくださったから、私たちも神の愛を知り、そのことにより、他者を愛することが出来る。
―?ヨハネ3:16-17「イエスは、私たちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、私たちは愛を知りました。だから、私たちも兄弟のために命を捨てるべきです。世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。」
2.残る弟子たちへのとりなしの祈り(17:6-19)
・祈りの中心は、残される弟子たちへのとりなしの祈りである。
―ヨハネ「私は、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、私はみもとに参ります。聖なる父よ、私に与えてくださった御名によって彼らを守ってください。私たちのように、彼らも一つとなるためです。」
・世はイエスを憎んだように、残される弟子たちをも憎むだろう。イエスは彼らを世から取り去るためではなく、世にあって守られることを祈られる。
―ヨハネ17:14-17「私は彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。私が世に属していないように、彼らも世に属していないからです。私がお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。私が世に属していないように、彼らも世に属していないのです。」
・イエスは弟子たちが真理を知ることを祈られる。真理を知れば、彼らは世の力から自由になるからだ。
―ヨハネ8:31-32「イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。『私の言葉にとどまるならば、あなたたちは本当に私の弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。』」
・その真理とは、誰がこの世の支配者であるかを知ることだ。人がこの世の支配者ではないのだ。
―マタイ10:28「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」
3.教会への祈り(17:20-26)
・イエスが祈られたのは、残された者が一つになることである。一つになることによって、彼らは神がどういう方であるかを世に証し出来る。それが教会の役割だ。
―ヨハネ17:20-21「彼らのためだけでなく、彼らの言葉によって私を信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、全ての人を一つにしてください。彼らも私たちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたが私をお遣わしになったことを信じるようになります。」
・人間の集まりは、自然のままでは一つであり続けることは出来ない。人は自己を捨てられず、お互いの自己がぶつかり合うからだ。その人間が一つになるのは、神の愛を知る時だ。
―ヨハネ13:34-35「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたが私の弟子であることを、皆が知るようになる。」
・人が共同体の一致を自分の考えと力で樹立しようとする時、そこには排除と分裂が起こる。求めるべきものは意見の一致でもなく、組織の団結でもなく、霊の一致である。
―エペソ4:1-4「神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。」